だれが、日本を「一人あたり」最低の国にしたのか。

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こんばんは。さるぼぼ母です。

年末も残すところあと僅か数日となりましたね。今日はクリスマスイブ、大切な人と楽しいひとときを過ごしている方も多いのではないでしょうか。年末年始の気分は盛り上がってきたところでしょうが、こんな記事を見つけました。

(東洋経済オンラインより)


この記事は小西美術工藝社社長のデービッド・アトキンソンさんというイギリス人の方が書いたものです。アトキンソンさんは日本に31年も滞在している方です。今でこそ日本の国宝・重要文化財の補修を手掛ける企業を経営していますが、それ以前はゴールドマン・サックスでアナリストをされていたようで、経済的・経営的な視点を持ち合わせています。アトキンソンさんの書いた新刊『新・所得倍増論』は、発売3日で2万5000部のベストセラーとなっているようです。

今回の記事の前提としてアトキンソンさんが同じ東洋経済オンラインで執筆している『「1人あたり」は最低な日本経済の悲しい現実ー日本の生産性は、先進国でいちばん低い』という記事があります。この記事の中で日本の国民総生産(GDP)は世界3位、輸出総額が世界第4位、ものづくり大国で製造業生産額第2位、研究開発費世界第3位....とされているが「一人あたり」のこれらの額はすべて先進国から外れているというのです。「一人あたり」のGDPはG7最下位、輸出額については44位、ものづくりについてはG7平均以下、と惨憺たる数字。哀しいかな、どうも現実のようなのです。

かつての日本は世界第2位の経済大国と言われていたのに、なぜこのようなことになってしまったのか。日本は「失われた20年」の間に成長しないことが当たり前になってしまったようです。アトキンソンさんはそんな日本を「日本病」として、それを自覚することからすべてが始まる、と述べています。

「世界一勤勉」な国民を死ぬまで働かせる国。

日本の労働者は「世界一勤勉」と言われています。それは今も変わりません。長時間労働が当たり前なのにもかかわらず、GDPは先進国で最低。さらにインドや中国はおろか、韓国や台湾、ベトナムなどのアジア諸国に抜かれつつあります。

日本の一流家電メーカーであるシャープが台湾の鴻海精密工業に買収された衝撃的な出来事は、それを象徴しているように思います。おそらくこういったことは今後どんどん増えていくに違いありません。

先週、内閣府が今後の日本の経済成長の低迷を予測し、70歳以上を「高齢者」として、高齢者の負担を増やすことを前提とした施策を今後政策の考え方に盛り込む、と発表しました。安倍首相は「一億総活躍社会」の実現に向けて、政府を挙げて取り組んでいくことを連呼しています。

60歳で定年退職し、年金で余生を暮らすことも夢となりつつある今、一生働かなければいけないわけです。一方で、アップルが定年制を廃止したというニュースも流れました。低賃金で長時間労働、なのにずっと死ぬまで働かなければいけなくなったのです。

生産性が低くなった原因はどこにあるのか?という問いに対し、アトキンソンさんは「労働者」でも「画一的な教育」でもない、と言っています。

生産性が低くなった原因は「経営者」にある。

労働者に生産性を求めることは「過剰な期待」だとアトキンソンさんは言っています。インセンティブも、それに対する対価も保証されない中、労働者は自分で生産性を上げるよう働くことはできないのです。当たり前ですよね。

ましてや、労働者に「経営者と同じ視点を持って働け」というのはおかしな話です。経営は経営者が行うことであり、もし、経営者の視点を持てと個々の労働者に求めるなら、経営者の給与を支払うべきなのです。

つまり、日本は経営者がするべき経営改善をしていないのです。アトキンソンさんは言っています。日本が抱える問題そのものは、経営者には関係ない、どれほどのワーキングプアが増えても、経営者は困らない。「経営者のモチベーション」こそが日本の生産性を下げている原因だと。

これを読んで、もやもやしていたものがすっと腑に落ちました。たしかに、日本の行動経済成長の時期には、何をやっても生産性は落ちなかった。需要に対する供給を満たしていけば、企業は成長することができた。経営者は経営ではなく「管理」をしていたのです。

バブル崩壊後も経営者は「管理」をし続けているのでしょう。自分たちの成功体験にしがみつくだけでなく、自らの延命だけが目的で、内部留保を増やすことに専念しているわけですから。

「日本型資本主義」という幻想にいまだにしがみつく経営者。

言われてみれば、同じような経営者像が容易に思い浮かびます。経営を放棄して、社員を長時間労働させ、全く平気な顔をする。社内に仕事量の不平等が起きても、是正もせず、それについて正論を言おうものなら、黙って自分の仕事をしろ、の一点張り。新しい事業を作り出すことはおろか、年がら年中、周辺の人と「飲み」、社内政治を仕事だと勘違いしている始末。

毎日終電まで仕事をしている社員がいる一方、素知らぬ顔で毎日定時で上がってしまう極端に仕事量が少ない社員を放置。これでは、会社を支えている社員のモチベーションはどんどん下がっていくでしょう。この悪循環が「生産性を下げている」縮図といっても過言ではありません。

おそらくそこに欧米型の「成果主義」のようなものが(経営者側にだけ)都合良く使われたのではないでしょうか。成果を上げてない(あるいは上げるようにマネジメントされてない)労働者に対して、対価を下げる、長期労働で対応させる、といった経営がなされてきた結果が、「一人あたり」先進国最低レベルの生産性ではないかと思うのです。

日本は長い間、「日本型資本主義」という幻想に支えられてきた。それは、爆発的な人口増加を前提としたものだ、とアトキンソンさんは言います。とすれば、人口が減少し、高齢化が進んでいく中で、もっとも大切なのは、生産性を上げるべく少ない労働力を最大限に活かすべく、経営者が経営改善をしていくことであり、それができない経営者に対しては厳しい目を向けることこそが、政治の役割ではないかと思うのです。



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