保育園に苦情、自治体の75%。不寛容な社会。

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こんにちは。さるぼぼ母です。

実に自治体の75%が保育園に対する騒音で苦情を受けていた。

以前から問題になっている保育園の騒音問題ですが、本日のニュースで「自治体の75%が保育園で子どもたちが出す声や音などに対する騒音について苦情を受けている」と報道されています(出典:Yahooニュース

苦情が原因で、保育園の開園の中止や延期をしたケースも16件あるとされています。

そういえば一昨年2015年の3月、東京都の目黒区で開園予定の認可保育園が、騒音を心配した住民から「反対運動」が起こり、当時の記事によると、複数の住民が園を認可する都に対して不服の申入書を提出。反対署名も約220人分集まり、開園を延期したという事もありましたね。

安倍内閣が「女性の活躍を支援する社会」を掲げ、保育園の増設や保育士の給与の引き上げを提案している一方で、子供の声を「騒音」と捉え、自分たちの権利の侵害として受け入れを拒否している地域住民が年々増えているというのです。この苦情が原因で、施設の運営が厳しくなっているようなのです。

読売新聞の調査によると、政令都市や東京23区などの都市部の待機児童が多数いる約150の自治体のうちの、約75%、おおよそ90件が、この5年間に騒音を含めた苦情を受けたことがあるという内容になっています。

しかも、その苦情が増え続けているというのです。

以前にも神戸市灘区の保育園をめぐり、70代の男性が子供たちの声がうるさい、として運営する保育園に対して慰謝料100万円の支払いを求める訴えを起こしたというニュースもありました。また、2016年の4月に千葉市の認可保育園がやはり住民の騒音懸念による建設反対により、延期ではなく、中止に追い込まれたという報道も記憶にある方はいらっしゃるでしょう。

子供たちの居場所がなくなっている。

私は実際に子供を持つ身で、保育園に子供を20年前に通わせた身なので、日中限られた時間(おそらく午前中の数時間と午後の数時間。通園退園の時間帯)に子どもたちの声や施設からの音が保育園周辺から最大に出るだろうというのは容易に想像はできます。

しかし、これが騒音ということになってしまうと、もう子供たちは室内にずっといるしかないのですね。すでに住宅街では、外で遊んでいる子供はほとんどと言っていいくらい見当たりません。公園に行けば、まあ、見つかることは見つかりますが、私たちの子供の頃は(ということを言い出すとなんだか嫌ですが)、子供といったら家の前や付近に集まってワイワイと騒いでいるのが普通でしたが、今はまったくと言っていいほど見当たりません。

おまけに公園でも、遊具に挟まれて事故があれば大騒ぎ。自治体の責任が追求され、子供は室内でゲームに興じるしかありません。さるぼぼ君が小学生の時も、スポーツをしている子以外に遊びといえば、誰かの家に行って、ゲームやカードゲームをする、ということが普通でした。

でも、それも出かけない母親が自宅に居てこそ成立するわけで、平均年収400万の国民は大黒柱だけが働いていればいい家庭はほんの一握りですので、今のお母さんはたいてい外出して働かざるを得ないのです。

保育園は就学前の子どもたちの居場所としては、絶対的に必要な場所なのです。問題は、経済成長が鈍化して、共働きが必然的に増えていくという過渡期の中で、大人の事情にもろに影響を受ける子どもたちの居場所を確保していかなければいけない、ということなのです。

保育園を増やさなければいけないことと、騒音問題は違う問題。

保育園の騒音問題が取り上げられるたびに、出てくる議論は必ず以下の二手に分かれます。

  • 少子化で子供が少ないと言ってるのに、子供の声に対して不寛容というのは理解しがたい。子供が元気で声を出すのは当たり前。自分たちも子供だったのを忘れたのか
  • 子供だろうが騒音は騒音。保育園が流す音楽や子供たちの声は想像を絶するほどうるさく、健康侵害にもなり得る。また、通園の際の保護者や運営側の態度も問題。

という方向です。前者も後者もごもっとも、な意見です。私見を言えば、私は子供たちの声がさほど気になる方ではありませんので、前者の意見に近いです。ですが、それは私が日中、仕事で外出しており、保育園に隣接したところに住んでないから、ということもあるでしょう。

とはいえ、実際には、さるぼぼ君が保育園に通っていた時期には、我が家や私立の幼稚園が運営するアパートに住んでいたことがあります。幼稚園に隣接していましたが、騒音に悩まされたという記憶はあまりありません。これは私が日中不在だったことに加え、そういったことが気にならないし、自分も子供がいたことが影響しているのだと思います。孫と一緒に住んでいる70歳の男性だったら、もしかすると騒音に対して苦情を言わなかったかもしれません。

しかし、冷静に考えてみると、「騒音問題」と「少子化・女性の活躍を支援」という2つの課題は、まったく別の問題であり、この2つが混同されて語られることが多いのです。

自治体や運営会社は保育園を「子どもたちの居場所づくり、働く母親の支援」を目的に整備していくことは必要ではありますが、同時に密接した住宅の中に建設・運営することについての問題を解決していくことが必要です。

いくつか挙げた保育園とのトラブル問題を追っていくと、単に「騒音」が問題だったのではなく、住民に対する配慮や説明、実際の騒音に対する対策が不十分だったことが浮き彫りになってきています。政府も「保育園や保育士の拡充」を目標として掲げる際に、この2つについて、根本的に考えていく必要があるように感じました。

いずれにしても他人に不寛容な社会(世界)になりつつある。

タイトルの通り、今の日本は、他人に対して不寛容な社会になっているような気がします。自分の都合を最大に優先して、それを侵害するとたたくという現象は、何もオリンピックのエンブレム問題に象徴されるようなネット上のものだけではない気がします。

また、置かれている状況に不満(経済的心理的)があるから、他人に対して攻撃するという傾向は、何も日本に限ったことではないように思います。

トランプ大統領の誕生を現実としたのは、プアホワイトたちの不満が後押ししたと言われますし、トランプ次期大統領の基本方針は「アメリカが良ければ他がどうなってもいい」のように思います。中東の不満は全世界を脅かし、ドイツのメルケル首相が難民を受け入れたことに対しての不満が爆発しつつあります。

全世界的に若者の失業が増え、格差が広がることへの不満は、いったいどこに向かうのでしょうか。

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