『おんな城主直虎』第41回「この玄関の片隅で」のあらすじと感想

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さるぼぼ母です。

 『おんな城主直虎』第41回「この玄関の片隅で」のあらすじと感想をお伝えます。

*詳細なネタバレが含まれますのでご注意ください

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虎松が小姓になる条件としてやってきたのは、なんと鷹匠のノブだった。


見事、徳川に奉公して日ノ本一の草履番となり、小姓に上がることになった虎松こと万千代(菅田将暉)とま亥之助こと万福(胃之脇海)だったが、それにはひとつ条件があった。

それは彼らの代わりに草履番として入るものを指導してくれというものであった。

数日後、榊原康政(尾美としのり)は、そのものを連れて二人の前に現れた。なんと、それは鷹匠のノブ(六角精児)だった。彼らのように若いものが入ってくるとばかり思っていた二人は、謎の中年男ノブの登場に顔を見合わせた。

ノブの顔を見て、亥之助は鷹狩りで会った鷹匠だということを思い出した。ノブが気に入らない虎松と違って、亥之助はノブと気が合いそうだった。

ノブに必死に教えようとする虎松をよそに、草履棚の上の名前を見て呟くノブは武将たちの事情を知ってそうだった。虎松は3日で草履の置き場所を覚えるようにきつく言った。

一方、虎松を失った松下は井伊に中野直久(富田佳輔)を跡継ぎにほしいという話を持ってきた。直虎(柴崎コウ)がさっそく直久に打診すると、中野直之(矢本悠馬)に遠慮しながらも、松下なら浜松城とも近く、虎松や亥之助とも会えるのでぜひ行きたいと直久は語った。

松下の養子には直久が、そして六左衛門はしぶる近藤に仕えることになった。


「では、あとは近藤どのかの」と南渓和尚(小林薫)は言った。

家名が蘇ったとしても井伊谷を返せとは決して言わないということで納得してもらってるが、あまり良い顔はしないだろう、と直虎。

それを聞いた奥山六左衛門(田中未来)は、虎松が浜松城に奉公に行ったことで自分の居場所もないため、井伊谷に戻りたいと願い出た。

しかし、それを聞いた近藤康用(橋本じゅん)はよい顔をしなかった。これからの若武者である直久を手放す代わりに、くたびれた中年の六左衛門の交換では、もらい損だと近藤。

しかし、直虎は六左衛門の良い点を強調した。人柄で正直良く、畑仕事もできることを説く直虎たちの言葉に耳を貸そうとしない近藤だったが、高瀬が六左衛門が馬の世話が上手だということを伝えると、ようやく納得した。

六左衛門は平身低頭で近藤に仕えることを誓った。

直虎は祐庵尼(財前直見)うめ(梅沢昌代)に虎松の様子を聞かれ、草履番として認められ、代わりのものを育てれば小姓として早々に仕えられることになったと伝えた。虎松はうまくやっているようだと。

本多正信という武家の出で三河一向一揆で家康に歯向かった過去をもつノブ。

一方、虎松たちは草履番として明け暮れていた。ふと、ノブを呼び止めた家臣の一人の様子がおかしいことを亥之助は見逃さなかった。

虎松は何であのような覚えの悪そうな中年男が草履番としてあてがわれたのか不審がっていた。

「これは、俺らを小姓に上げぬ策略じゃないか?そのためにわざとヌケサクを寄越したのでは?それならば、あの親父を早く一人前にせねば」と虎松。

しかし、亥之助は何やら妙な気配を感じていた。幾人かの家臣がノブを見て、気色ばんでいたではないかという亥之助。虎松は気にかける様子もなかった。

夜中にノブは草履の場所を必死で覚えていた。その中に本多忠勝(高嶋政宏)の名前もあった。

次の日、出勤した家臣たちの草履を裁くのに虎松と亥之助、そしてノブはてんてこ舞いだった。10足ほど迷子になってしまった草履を見て笑うノブに、昨晩何時まで、どこまで覚えたのかと詰め寄る虎松。

と、その時、現れた本多忠勝がものすごい形相でノブの頭に掴みかかった。

「おぬし、なにゆえここに」
「故郷じゃからな」とノブを突き飛ばし、ものすごい形相で刀を抜こうとする本多にノブは言った。

「大久保様のお引き立てで、殿もこちらへ、と。もう10年も前のことではございませんか!」とノブが言うと、本多は刀を抜いて斬りかかろうとした。

現れた榊原が本多を止め、これは家康が決めたことで、本多の気持ちは家康に伝えるから、と彼をなだめてその場を納めた。

その場を去る榊原に虎松が事情を聞くと、ノブが三河一向一揆で家康に刃を向け、挙句の果てに他国に逃げたと言う。本多との関係を虎松が尋ねると、ノブの本名は本多正信といって一族のものであり、本多忠勝からすると斬って捨てたいような身内の恥だというのだった。

それを聞いて虎松は何でそのようなものを自分たちの下につけたのかと聞いたが、榊原は家康の采配だという。それを聞いた虎松は思わず叫んだ。

「もしや殿は、あそこを掃き溜めにする気では?」

それを聞いた榊原はその言葉が家康を蔑む言葉に受け取られると言った。

「殿がどう取られるかわからないが、おぬしの言い分は伝えておく」と言って去る榊原。

まずい事を口にしたと後悔する虎松だったが、玄関に戻るとノブと亥之助が親しげに話をしていた。それを見て、さらにイライラして自分の出世が潰れてしまうから、何としてでも草履番の仕事を覚えてもらう、と凄む虎松だった。


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武田勝頼率いる武田軍が再び勢いを取り戻し、三河遠江に迫っていた。


その時、岡崎より急ぎの使者がやってきた。その様子からすると、どうも武田が
再び攻めてきたのでは?とノブは言った。

天正3年4月、武田勝頼率いる武田軍が再び、三河遠江への進軍を開始した。その勢いは徳川軍を圧倒し、勝頼は長篠城を包囲するに至り、吉田城に迫った。

徳川家臣たちはその対策を練っていた。

織田の使いとなった石川数正(中村織央)に織田の様子尋ねると、織田信長(市川海老蔵)は武田が確実に勢いを取り戻しており、何としてでも叩きのめす必要がある。そこで、援軍を寄越す代わりに徳川に急いで用意してほしいものがある、と語った。

井伊谷。六左衛門の様子がおかしいのに気がついた直虎が原因を聞くと、近藤が六左衛門の一挙一動が気に入らないらしく、どうも折り合いが悪いのだと語った。武勇で名を上げた近藤に取って、図体がでかくて武芸に秀でていない六左衛門がまぬけに見えて仕方がないようだった。

直虎は無理して井伊にいることはないから松下に戻ってもいい、と六座に伝えたが、松下でも役立たずは同じで守役が済んだ今、戻ることはできない、と語る六左衛門。

「いっそ武家を止めてはどうか。百姓や商人の方が向いているのでは?」と直虎は言うが、自分でもわかっているのだが、いつか武功で名を上げてみたいという夢があり、憧れがあるのだ、と語った。それなら、ここで頑張るしかないの、と直虎は言って、六左衛門の後ろ姿を見送った。

ノブは信長から家康が命じられた材木の調達命令について家康の家臣から聞き出す。


浜松城では、戦についていくことを許された小姓たちが誇らしげに口々に語るのを虎松は悔しげに聞いていた。
玄関ではなぜかノブが誰も出てきてないのに草履を玄関に並べていた。

それを見て、ノブを叱ろうとする虎松だったが、自信満々にこの順番で出てくるから見ていてほしいという。

「はじめに出てく来られるのは、鈴木さま、都筑さま、田中さま」

なんと、ノブが言ったとおりに出てくる家臣たち。呆気に取られる虎松をよそにノブは澄まして言った。

「お役目ご苦労さまでございます」

次に出てくる家臣もノブはぴたりと当てた。

「誰が出てくるのか分かるのですか?」と聞く亥之助に、ノブはだいたい早く出てくる方、一緒に出てくる方はたいがい決まってるようなので、自分にはこのようなやり方の方が合ってる、と語った。

最後にひとつ余った草履を見て、鬼の首を取ったように虎松が言うと、ノブは落ち着いて出てきた家臣に、出てこない大久保の事を尋ねた。

どうも、家康に相談事で居残りをさせられている様子だった。

それを聞いて閃いた虎松は、困りごとが起きているのなら、それを解決する手助けをすれば、草履番を抜け出す早道になるかも、と語った。

「大久保さまに聞いてみましょうか?」というノブの言葉に喜ぶ虎松。
しばらくして出てきた大久保忠世にノブが言葉巧みに家康との話を聞き出すことに成功した。
「近く木が必要になるのだ。戦のために丸太を直ちに3000本用意せよ、と織田信長に殿は言われたそうだ」と大久保。

難題を自分が解決できることを示すために、わざと家康の草履の鼻緒を切る虎松。


その夜、虎松は家康の寝所の縁側に亥之助を使って忍び込み、家康の草履の鼻緒を切って元に戻しておいた。
翌朝、草履を履こうとして鼻緒が切れていることに気づいた家康だったが、虎松は即座に代わりの草履を用意して、家康の気を引こうとした。

「用意がよいの」という家康に
「草履番ですから」と虎松。

虎松が鼻緒を修理して持っていき、ためし履きをしてほしいと声をかけると家康は言った。

「鼻緒はあらかじめそなたが切ったではないか」と家康。
「お戯れを」と虎松。
「あれは、鼻緒を昨日替えさせたばかりじゃ」と家康。

虎松は嘘が通じないと観念して、家康に近くに寄って話をしたいと伝えた。武田攻めに際して自分が役に立てることがあるのではないか、という虎松の言葉に、興味を示す家康。

そこで虎松は井伊が以前に材木を商っており、熟練の者たちを雇って材木を調達していたがその技術を受け継いでいること。その材木の手配を自分に任せてほしいと申し出る虎松の言葉に家康は言った。

「で、そなたの望みは?」
「初陣を飾らせていただければ、と」と虎松。
「よし、心得た。では、まず材木を調達してみせよ」と家康は言った。

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井伊に材木の調達を依頼する虎松の望みを直虎はすんなり受け入れることができなかった。


さっそく、虎松は直虎と南渓和尚の元に材木を調達してほしいという手紙を送った。代わりに初陣を飾ることができ、武功を立てることができれば出世も叶うというのが虎松の目的なのだろう、と和尚。

しかし、今の井伊は近藤の所領であり、勝手に一本の木も切ることはできなかった。どうするかしばし考えるので、虎松にはしばし待つように返信するように和尚に頼む直虎だった。

ちょうど、そこに瀬戸方久(ムロツヨシ)が薬の行商から帰ってきた。直虎は方久に頼みたいことがあると伝えた。

虎松は和尚からの承諾の文を誇らしげに亥之助に見せた。

「これで材木を調達することができれば、親の威光を笠に着る小姓たちをごぼう抜きじゃ!!」

そう叫んだ虎松の言葉を聞いていた榊原は家康にそんな約束をしたのかと尋ねた。

「まことあやつはあの手この手で出し抜いてくる」とうれしそうな家康。
「万千代に見どころがあるのはわかりますが、戦場につれていくのはちと早いのでは」と榊原はあまり感心しない様子だった。

万千代がこちらに来てまだ三ヶ月しか経ってないのにえこひいきすれば、小姓たちの妬みも買うだろうというのが榊原の心配だった。
そこに、瀬戸方久が家康に二人だけで目通りしたいと訪ねてきた。方久が命からがら気賀から逃げてきた時の事を家康は思い出した。

家康に当てられた直虎の文には、虎松のやり方を戒めるために近藤の手柄にすることが提案されていた。


「久しゅうの。方久」と家康が言うと、

「カーン、カンカンカンカン....」と方久は吠えだした。

家康が今は何をしているのかと尋ねると、薬や綿布、刺繍などを売っているのだと刺繍の布を差し出した。その中には直虎からの文が入っていた。

不躾にも直に文を送る無礼をお許しください。けれども殿にだけ是非直接お願いしたいと方久に文を託しました。井伊谷に材木を、というお話ですが、あいにく、今ここは近藤どのの御領地、杉一本たりとも自由に切ることはできません。
その井伊谷をまるで我が物のように頼み事を寄越す万千代は、物事の筋目すらまだわからぬ未熟者と存じます。殿のご温情はありがたきことなれど、甘やかしては本人のためにもならぬ、と。故にここはひとつ、近藤殿にこのお役目を命じていただけないでしょうか。そうすれば、近藤殿と力を合わせて、必ずや500本の調達をお約束いたします。

そう手紙には書いてあった。家康はそれを読んで愉快そうに笑った。

「何とも奇妙な話じゃ。井伊のものが井伊のものの手柄を潰す、と」

「井伊谷が今の形に治まるまでには、さまざまなことがございました。家臣を失い、家を失い、私怨を超え、やっと今の近藤殿との絆が深まったのです。先代にとって大事なのは、もはや井伊のお家ではなく、井伊谷が民にとって安穏の地であること、それだけなのです」と方久は語った。

家康は虎松の思い通りにならないことを伝え、虎松はさらに憤慨するのだった。


井伊に戻ってきた方久の話を聞き、直虎は急ぎ近藤の元に行った。

家康からの達しで10日のうちに丸太を調達して届けよというのだった。近藤の家のものの中には材木の切り出しに詳しいものがいない、と近藤は困り果てていた。

それを聞いて直虎は言った。

「すでにご家中におります。奥山六左衛門にございます。かつて、井伊は材木の商いをやっておりましたが、切り出しから運送、人足の手配まですべてを引き受けておりました。確かに武勇にはすぐれないのですが、人柄がよく、人足たちに好かれますので事は滑らかにすすみます。騙されたと思って、任せてはいかがでしょう」

六左衛門に不信感を持つ近藤に六左衛門の良さを認めさせるいいチャンスでもあった。

浜松城では、家康が虎松に材木の切り出しを近藤に任せることにしたと告げた。
井伊谷の領地は近藤に安堵したものなので、近藤に頼むのが筋かと、と家康。

納得できない虎松はその案は自分が考えたもので、考えた褒美に初陣を、と懇願したが、これからも嫌というほど戦はある、と家康は取り合わなかった。

「な、戻ったら小姓に引き上げてやるゆえ、こたびは留守居を頼む。日の本一の留守居、励むがよいぞ」と部屋に引き上げる家康だった。

部屋に戻った虎松はこれが直虎の仕業だと悪態をついた。

「あの腐れ尼!15の健気な息子が頼んでいるのじゃぞ。それを捻り潰すとは、情がないのも程がある」と暴れる虎松。

井伊谷では、六左衛門の指揮で材木の切り出しが行われていた。

張り切る六左衛門の姿を見て、虎松と直之は微笑ましそうにその様子を見ていた。
「かような働きなら、自分でも戦の役に立てる。これも武功だと涙ぐんでおりました」と直之。

こうして、井伊谷は500本の材木を無事調達し、家康たちは武田軍と戦うべく長篠城に向かったのだった。

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さるぼぼ母の感想。


あっという間に草履番を抜け出せそうな虎松でしたが、その代わりに育てなければいけないと寄越されたのは、なんと鷹匠のノブでした。この六角さん演じるノブと家康との関係はなんなのでしょうか?おそらく、虎松を引き上げていく上でのお目付け役でもあり、教育係でもあったのかもしれません。

しかし、三河一向一揆で家康に反旗を翻した者を、取り立てるとはなんと太っ腹な人物なのでしょうか。この敵対せずに取り込み、敵を作らず何かしら取り立てていくという戦略こそが徳川家康なんでしょう。

菅田将暉演じる虎松があまりにも激しい、ということを前回書いたのですが、どうも実際の史実の虎松もかなり激しい人物だったようですね。
のちに、酒井忠次、本多忠勝・榊原康政と並んで徳川四天王にまで登り詰めるというから、すごい出世といいますか、家康に気に入られたのですね。

Wikipediaにもこんな記述があります。

天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いで、直政は初めて赤備えを率いて武功を挙げ、名を知られるようになる。また小柄な体つきで顔立ちも少年のようであったというが、赤備えを纏って兜には鬼の角のような立物をあしらい、長槍で敵を蹴散らしていく勇猛果敢な姿は「井伊の赤鬼」と称され、諸大名から恐れられた。


小柄で少年のような美男子でもあり、自分に厳しく他人に厳しく、その姿は赤鬼とまで言われたというかなり印象的な人物であったことがわかります。

出世出世をことごとく口にし、失われた家の人間である悔しさをバネにのし上がっていく姿は、現代のサラリーマンの姿に少しかぶります。

まあ、サラリーマンが時代劇が好きなのは、こういった会社組織の中の立ち居振る舞いを彷彿とさせるからなのでしょう。

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