『おんな城主直虎』第43回「恩賞の彼方に」のあらすじと感想

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さるぼぼ母です。

『おんな城主直虎』第43回「恩賞の彼方に」のあらすじと感想をご紹介します。

*詳細なネタバレが含まれますのでご注意ください

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万千代が家康から直にねぎらいを受ける一方、井伊谷では土砂災害が発生しようとしていた。


井伊の木を数多く切り出して作った馬よけの策が幸いし、徳川は武田との戦いに勝利した。井伊万千代(菅田将暉)は留守居として武具・兵糧を完璧に準備した功績により、徳川家康(阿部サダヲ)から直にねぎらいを受けた。

家康から寝所に呼ばれたことで、色小姓(武将が若い小姓を性的に囲うこと)にされるのだと勘違いした万千代だったが、家康は武具を新品同様に手入れしたのが万千代だと気が付いたのだった。家康は言った。

「いっそ、色小姓としてしまう手もあるかな。万千代。ここはひとつそういう事にしまうか?色小姓ということにしてしまえば、嫌がらせを受けることも減るだろうし」

しかし、万千代はそれを断り、そういうことではなく、働きによって小五郎(タモト清嵐)らをねじ伏せよたいと申し出た。

井伊谷。瀬戸村では甚兵衛(山本學)が、大雨により土砂が崩れかけているのを見て呟いた。
「こりゃ、いかんのぉ」

小姓に上がった万千代と万福に対し、意地悪をする小五郎ら小姓たち。


浜松城。榊原康政(尾美としのり)が小姓たちに万千代と万福(井之脇海)を新入りの小姓として紹介した。榊原が行ってしまうと二人は小姓たちに何をすればよいか尋ねたが、手が足りているので座っていればよい、と言う。

家康の世話は洗顔、髪の手入れ、着物の世話をするもの、掃除をするものなどすべて揃っており、割り込めるすきなどなさそうだった。足場でも直しておくか、とぬかるんだ庭の手入れをしていたが、小五郎たちの指図を待っていてはいつまでたっても役目はもらえないだろうと万千代は語った。

通りかかった家康に何か役目がないかと尋ねると、家康は戦の手柄改めを手伝うように命じた。戦の手柄改めとは、戦に参加した武将たちが、自分たちがどのような手柄を立てたか、主家に申し立てる場であった。岡崎・浜松・旧今川方の武将など、多くの武将たちが詰めかけていた。

あまりのことに万千代たちが驚いていると、玄関ではノブ(六角精児)が大慌てをしていた。普段来ないものたちが大勢詰めかけたために、名前を草履に付けるのも困難になったのだった。
万千代はノブから名札を奪い取って、紙に皆が自分で名前を書いてくれるように頼んだ。


井伊谷。甚平が急いで直虎(柴崎コウ)を訪ねてきた。山の神が怒っているかもしれないというのだ。いそいで行ってみると、山崩れが起きていた。山の異変が川に及び、崩れた土砂が川底を上げてしまったという。水路も同じような状態で、少しの雨でも水が溢れてしまうというのだ。異変が起きたのは木を切りすぎたためであろう、というのだ。直虎はすぐさま、傑山(市原隼人)昊天(小松和重)に指示して、対策に奔走することになった。

家康に井伊の薬を献上したのをきっかけに家康の手柄あらためのための表を作成する


その頃、浜松城では手柄あらため(功労の評価)が行われていたが、元今川家臣や岡崎の者たちなど、必死の形相で家康に訴えていた。家康のところには多くの手柄が書かれた書状が山積みになっていた。これを吟味する必要があるのだった。

家康が寝所で書状の目を通そうとすると、小五郎が万千代が家康に何かを渡そうとするのを遮る声が聞こえた。万千代は良い薬があると、家康に持ってきたのだった。

「新参者の小姓が殿に薬などならん」と小五郎は追い返そうとしたが、家康はその薬を見て万千代に煎じるように申し付けた。煎じた薬を差し出すと、薬について詳しいのかと聞かれた万千代は井伊で詳しいものがいたので、家康が気に入れば取り寄せると伝えた。
家康は毒味もしていない薬を飲み干した。

そこに散らばってる手柄改めの書状を見た万千代は驚いた。ものすごい手柄が書かれていたのである。しかし、それを聞いた家康は笑って、手柄を多く見せるのは人の常、自分はその手柄にきちんと報いてあげなければ、と語った。

それを聞いた万千代は、それらの手柄をひと目で比べられるような表を作ると申し出た。世を徹して作業をして気がついた時には夜が明けていた。手柄改めの表は完成していた。家康い声をかけられて目が覚めた万千代は慌てて寝所をあとにした。万千代が家康の寝所から出てきたのを目撃した小五郎は驚いた。そして、家康は万千代の作った表を見て驚いていた。

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万千代は常慶に頼んで松下から井伊に薬を頼み、代わりに井伊の土砂留の設計図を描く


万千代は万福に家康に薬を出す役目をすると宣言した。井伊から薬を取り寄せようとしたのだった。しかし、前回手柄を近藤に取られたことを根に持ち、直虎に頭を下げたくない万千代は、直虎が松下常慶(和田正人)に土砂留の設計を頼んだのを聞いて、自分が設計の絵を描く代わりに松下から直虎に薬をもらうように頼んだ。

家康は万千代が作った表を前に考えていた。そこに榊原が来て表を見て驚いた。家康はこれは万千代がまとめてくれたもので、見やすく手柄改めも進むと伝えた。

「万千代は使えるかもしれないぞ」家康は言った。

安堵状に取り掛かるかと榊原は言ったが、問題があった。長篠からここ一連の戦で武功を立てたものは、本多、酒井、榊原など力のある浜松勢の武将ばかりだった。釣り合いが取れないのを家康は悩んでいた。しかし、榊原は今いちばん大事なのは浜松の士気、いまだ武田との戦いは終わってない、と言った。
「岡崎には泣いてもらうしかないかのお」と家康は言った。

万千代は土砂留の絵図を描いていた。薬が欲しいなら欲しいといえばいいのに、と常慶が言うと、万福は万千代が直虎に手柄を取られたことを根に持ってると説明した。知らぬうちに薬を巻き上げてやる、と万千代は豪語した。

常慶は万千代が描いた絵図を持って井伊谷を訪れた。禿山に松を植えて土砂崩れを防ぐという設計図を見て奥山六左衛門(田中未来)はさすが虎松だと言うと、直虎は怪訝な顔をした。虎松が描いたものだとは聞いていなかったのだった。
虎松が描いたものに間違いないという六左衛門の言葉を聞いて、直虎は南渓和尚(小林薫)を問いただしたが、とぼける和尚。

代わりに常慶が松下源太郎のために薬を欲しがっているというので見繕ってやりたい、と和尚が言うと、直虎は呆れた顔をするだけだった。

直虎は近藤をおだてることで土砂留の普請の資金を出すことを承諾させる


直虎はさっそく近藤康用(橋本じゅん)に土砂留の普請を申し出た。大規模な普請になるため、近藤は渋ったが、直虎は近藤がその費用を出してくれないのであれば、織田信長にもらったあの茶碗を売ろうかと思っていると告げた。

そんなことはできないという近藤に、織田のために木を切ったためにこうなったのであるから、木を生やすために使うのは理に叶ってること、と説明した。なおも渋る近藤に直虎は言った。

「臨済禅師の説話に『巌谷に松を栽える』という説話があります。今は荒れ果てた土地の50年100年先に豊かな土地となるように、というすばらしい話です。思うに後世を思い、善処される方は必ず後世に名を残します。近藤様が普請をすれば井伊谷を救ったのは近藤、あれは近藤の松であると、子々孫々、代々語り継がれるかもしれません」

ということで納得した近藤の許可を得て、直虎は今度は百姓たちに土砂留の普請について説明したが、この忙しい時にできない、木を切ったのは自分たちではない、という百姓たちだった。それを聞いた甚兵衛は言った。

「山に言うても聞いてはくれんで。武家であろうと百姓であろうと山は選んでくれん。等しく襲ってくる。山の前ではただの人だ」

井伊からの薬を家康に差し出すと、家康は直虎に信を抱く理由を語る


万千代たちは井伊谷から常慶が持ち帰った薬を前にしていた。驚くほど多くの種類の薬と使い方が記された紙も入っていた。また、一緒に瀬戸方久(ムロツヨシ)が寄越したサボン(石鹸)が入っていた。家康に献上して、お気に召せば申し付けてほしいと方久は言ってる、常慶は言った。

その夜、薬を携えて家康のところに向かう二人を小五郎たち小姓は遮った。自分たちが家康に持っていくという小五郎たちともみ合いになる二人だったが、万千代は叫んだ。

「某は殿のご寵愛を受けておる身。この間明け方に見ただろう。おれや万福に手を出してみろ、殿のお怒りが及ぶぞ」と言うと小姓たちは後ろに下がった。

万千代が家康に薬を持っていくと、その顛末を聞いた家康は結局、色小姓ということにしたことを笑った。万千代が薬を念のため医者に調べさせてからにする、と伝えると家康はこの薬は井伊からのものだから、必要ない、直虎を信用しているから、と語った。

「なにゆえさような。一度きりしか会ったことのないものを?」と万千代が聞くと、家康は「無欲だから、な」と答えた。

その言葉に賛同しかねる万千代が、「無欲ではない、直虎は井伊を守ることしか考えてない」と言うと、家康は言った。

「井伊の民を、な。己を守ることは考えてはおられぬ」

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家康は岡崎の処遇について万千代に助言を求め、万千代を岡崎へ使いにやる


家康の寝所を急いで出ようとする万千代を、色小姓だということにしたのだから、もう少し居ないとおかしい、と引き止め、岡崎の処遇を万千代ならどうするか尋ねた。自分が口を挟むようでないという万千代に家康は問いかけた。


武功という意味では岡崎は目立って大きな働きをしているわけではないが、今回織田を連れてきたのは岡崎だ、と家康が言うと、万千代は言った。

「殿がすべての方の働きをご存知、と伝えるのが肝要かと。誰も知らずとも殿は見ていてくれると知るのは心強いものでございます」

それを言うと家康は万千代に岡崎に行くように言った。万千代は瀬名(菜々緒)の縁戚でもあるし、岡崎の手応えを探ってほしいと家康。驚く万千代に他のものに頼めば大事になるが、お前だからよいのだ、と語る家康だった。

岡崎で万千代は徳川信康に家康の意向を伝える


三河・岡崎城。万千代は家康の嫡男で岡崎城主の信康(平埜生成)の前に居た。万千代が顔を上げると、信康は万千代がまだ若いことに驚いた。瀬名に大胆な頼みをしてきた万千代がどんな老獪な策士かと思っていたからである。

「井伊家は私の母上の生家。私も家名が戻り嬉しく思っています」と瀬名。

万千代はサボンを瀬名に差し出した。それを見て喜ぶ瀬名。万千代の表情を見て、碁に誘う信康だったが、いきなり本題について切り出した。

「本題は何か?恩賞の件か?」と信康。

万千代は、武功を元に考えられると岡崎には手が回らない、という家康の言葉を告げた。だが、家康は日頃の岡崎の働きで勝利があったとわかっており、ゆえに今川勢に諏訪原城を与えては、と語っていることも伝えた。

それを聞いて石川数正(中村織央)はそれがなぜ岡崎に報いることになるのかと声を荒げた。

万千代は落ち着いて、信康も瀬名も今川の縁戚であり、今川が一家として徳川に根をおろすことは、岡崎の力となるだろうと家康が考えていることを語った。その意見に不服な石川は、岡崎の平岩親吉などに諏訪原城を任せてはどうかと提案したが、万千代は今後地の利のある今川を手厚く遇しておけば、酒井や本多が納得するだろうと告げた。それを聞いて怒りの声を上げる石川を信康は抑えた。

井伊では大規模な松の植栽が行われ、家康は万千代の働きを評価する


井伊谷では松の植栽が行われていた。直虎は甚兵衛に土砂崩れに気づいてくれた礼を言った。

「わしらの里は自分で守らにゃ。殿」と甚兵衛は言った。

それを聞いて「我はもう殿ではない」という直虎に「自分たちにとって殿は直虎様しかいない」と甚兵衛。
この松が大きくなる頃にはどうなっているのだろう、と語り合い、笑い合う二人。そして直虎は「この松は『甚兵衛の松』」と皆に聞こえるよう声を上げた。

浜松城に戻った万千代は家康に岡崎城でのやり取りを報告した。それを聞いた家康は岡崎が辛抱してくれることを喜んだ。

「良い男じゃろう、わしの息子は」

「はい。おおらかで、頼もしく、人の上に立つために生まれてきたようなお方です」と万千代が言うと

「信康に家督を譲るまでせいぜいあと10年そこらだ。主従として信康とそなたは年の釣り合いも取れているかものぉ」と家康が言った。

「では、若のお役に立てるよう、殿の元で精進いたしとう存じます」という万千代だった。

井伊谷。直虎は南渓和尚に「薬は万千代の役にたったのでしょうか?」と尋ねた。

「小姓に上がったらしいぞ」と和尚はにやりとした。
「さようにございますか。絵図も役に立ったとお伝えください」と直虎は言った。

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今川に城をやるという家康の決定に反対する家臣たち。万千代は確実に家康の心を捉えつつあった


浜松城。

「今川に諏訪原城を任せるのですか?」と本多定勝(高嶋政宏)
「なにゆえ今川に城をやらねばなりませぬ。あそこには少なくとも三河よりの生え抜きを置かねば」と酒井忠次(みのすけ)も大声を上げた。
「これからの駿河攻めの事を考えると、今川を遇しておかねば、と定勝も言っておったではないか」と家康が言うと、本多は言葉を濁した。家康が榊原に尋ねると、

「理が通ってると存じますが」と榊原。
それを聞いて早速、家康は安堵状に動き出した。

その場に残された本多は榊原に「これは岡崎への配慮なのか?」と尋ねたが、榊原は自分は知らないと答えた。

「そなたが知らぬわけはないだろう」という本多に

「井伊の小童が進言したのではないか」と榊原。まさか、という顔をする本多に対して

「あの者は我らとは違う形で殿のお心を掴んでいくやもしれん」と榊原は言った。万千代は確実に家康の心を捉えつつあった。

時は流れて天正6年。井伊谷では松がすくすくと育ちはじめていた。
直虎は、松に語りかけながら、空に向かって今は亡き甚兵衛に話しかけた。

「聞いておるか?甚兵衛。また来るの」

寺に戻るとなつ(山口紗弥加)が和尚と共にいた。そろそろ髪を下ろそうかというなつは、万千代と万福二人の初陣が決まったと語った。

「初陣?」と心配そうな顔をする直虎に対し、
「いよいよじゃの」と和尚はうれしそうに語った。

(第43回終わり。つづく)


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さるぼぼ母の感想。


万千代こと虎松がいかにして徳川四天王と呼ばれる家康の重臣となっていくか、家康の心をいかにして捉えていくか、描かれることになった回でした。

類まれなる非凡たる凡である考えを持つ家康にとって、万千代の振る舞いは新鮮だったに違いありません。

それにしても「殿」という存在は当たり前ですが絶対であり、いかに「殿」に気に入られるかというのが家臣たちの絶大な関心事であり、出世の道であったことをが、事細かに描かれると、やはりこの国の文化が主君というのが絶対的な存在で、大きな縦社会で成り立ってることが今更のように感じられてしまうのでした。

今後、さらに万千代の出世は加速していくのでしょう。そして、なぜか万千代の出世があまりうれしそうでない直虎は、今後どう描かれていくのでしょうか。

万千代の出世物語が主流になってしまったこの物語、ちょいとつまらなさを感じてしまうのは私だけでしょうか。それともまた、大きな流れが今後あるのでしょうか。


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