『おんな城主直虎』 第47回「決戦は高天神」のあらすじと感想

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さるぼぼ母です。

『おんな城主直虎』 第47回「決戦は高天神」のあらすじと感想をご紹介します。

*詳細なネタバレが含まれますのでご注意ください


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信康と瀬名を自ら手にかけたことで絶望した家康を救ったのは万千代の言葉だった。


織田信長(市川海老蔵)の命に逆らえず、徳川家康(阿部サダヲ)は、武田に通じたという無実の罪で、嫡男徳川信康(平埜生成)と自らの妻である瀬名(菜々緒)を失うこととなった。

徳川家最大の悲劇を迎え、大きな哀しみを抱え、絶望に打ちひしがれた家康を再び立ち上がらせたのは、井伊万千代(菅田将暉)の言葉だった。

「昔私に碁を教えてくれたその者は言いました。負け戦になってしまったら、そもそもどこで間違えたかを確かめよ、と。次に勝つためには」

「次に勝つため?」家康は聞き返した。

「負けた意味は次に勝つためにある、と。考えましょう。この先の徳川のために」と万千代は言った。

「まずは、岡崎からじゃ」と家康は語った。万千代はうなづいた。

石川数正(中村織央)は浜名湖の辺りで、信康と瀬名の後を追って自らの命を絶とうとしていた。それを止めたのは、家康に派遣された本多忠勝(高嶋政宏)だった。

家康は岡崎の家臣たちに腹を割って真実を伝え、駿河を落とすことを助けるように頼む。


岡崎城。家康は自ら岡崎城に乗り入れ、信康の死に絶望して城を離れようとしている家臣たちの前で語った。

「その方ら、わしに愛想が尽きたか。信じてもらえないだろうが、わしは二人を助けたかったが、織田の前に力及ばなかった。信康は無実、瀬名も信康を庇うため、自ら罪を着た。その二人をわしは守りきらなんだ。信康はわしにはもったいない息子じゃった。瀬名がおらねば岡崎に戻ることもできなんだと思う。そして、瀬名の願いは徳川が駿河を取ることであった。ゆえにわしは何としても駿河を取りたい。妻と我が子も守れぬ主じゃ。見限られても仕方ない。しかし、だからこそ、皆の力を貸してほしい」

家康の声にすすり泣く声も多かったが、皆は家康に力を貸すことを誓った。

酒井忠次(みのすけ)は石川数正に二人を助けられなかったことを数正が恥じているだろうが、自分と共に生き恥を晒し、背負って生きて行こうと語った。

榊原康政(尾美としのり)は万千代に、家康に腹を割って話すように勧めたのはお前か、と尋ねた。万千代は榊原に昔、井伊の先代である直虎(柴咲コウ)が逃散した百姓たちを説得する時に腹を割って訴え、その百姓たちが今だに直虎の味方であることを伝えた。

家康は家臣たちの前で駿河を落とすことを誓い、こうして徳川は心新たに武田攻めに向かっていくことになった。

井伊谷に戦のための木材の調達の任が下され、直之は武田の間者を突き止める。


井伊谷。直虎は南渓和尚(小林薫)に語った自分の言葉を思い起こしていた。虎松(万千代)を使い、徳川に戦のない世の中を実現してもらう。そう言ったものの何から始めたらよいのか直虎は考えあぐねていた。

そこに奥山六左衛門(田中美央)中野直之(矢本悠馬)がやって来た。徳川が高天神に出兵するにあたり、材木が必要となり、井伊谷に声がかかったのである。

織田にひどい目に遭わされた徳川が、そのまま武田攻めを続けることを直虎は不思議に感じていた。

今、織田に逆らうことはできないだろうという南渓和尚に、織田に天下を取ることなどできないだろう、何の落ち度も無いものの命を奪う信長に、果たして人が従い続けるものだろうか、と直虎は言うのだった。

織田の天下というのは本当のものではないのではないか、という直虎の言葉に、和尚も納得するのだった。

高天神城は遠江における武田の拠点。この難攻不落の山城を落とすため、徳川は横須賀城に本陣を置いた。

砦を築くための木を斬る陣頭指揮を取る万千代を見かけた六左衛門と直之は、その立派になった姿に感心するのだった。

徳川が兵糧攻めを策として城の周りに砦を築いてから、はや4年経っていた。

六左衛門が木を斬り倒す人足たちと「竜宮小僧」の方言について談笑しているのを聞いていた直之は、その中に武田の間者がいることを突き止めた。高瀬(朝倉あき)が居た地方と同じ方言を使っていたからである。

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高天神の水源を断った褒美に万千代は家康から二万石を賜わい、直之と六左衛門を召し抱えたいと願い出る。


直之は捕らえた二人を万千代の前に突き出したが、万千代は彼らを処刑する代わりに、もはや武田に戻れぬ彼らを召し抱える代わりに高天神城の井戸の場所を教える事を要求した。

こうして、万千代は高天神城の水源を絶つことで、褒美として家康から二万石を授かることとなった。

万千代から、その報告に加え、直之と六左衛門を召し抱えたいという手紙を受け取った直虎は仰天したが、万千代の真意を確かめるべく砦に向かった。砦に現れた直虎を迎えた本多忠勝は直虎を見てことのほか喜んだ。

本多と談笑する直虎だったが、陣地の中を織田の者たちが歩くのを訝しく見つめていた。

本多は万千代が昔のように自分の事ばかりでなく、徳川の事を考えるように変わったというのだった。

現れた万千代の姿を見て、てっきり戦っているのかと思った直虎だったが、砦を作る人足仕事をしているという。

万千代は家康が高天神の戦いにて、取り巻くように砦を築き、兵糧攻めをして、徳川勢も武田勢も一兵も兵を損なわずに降伏させ、最終的に徳川が丸抱えすることを考えていることを語った。

「織田に屈せずともよい力を持ち、徳川のこれからを見据え、敵を叩き潰す力でなく、敵を味方にする力を鍛えるべきだ」そう家康は万千代に語ったのだった。

それを聞いた直虎は驚いた。

「敵を味方とする力?」

直虎は家康が戦わない生き方を望むのを知って、亡き政次と語り合ったことを思い出す。


家康は戦が好きではなく、戦いたくないのだ、と万千代は言った。実のところ戦とは大きく考えた時にあまり割の良い片の付け方ではない、と家康は考えているようだった。

そのためにあれこれ姑息なまでに考えている、という万千代の言葉に直虎は、いつか政次(高橋一生)が語った戦わない生き方を思い起こした。

「いや、但馬とのう、昔、二人で戦わない道を必死に探したことを思いだしてな。強くなると良いのお、徳川が。それこそ日の本一、戦が嫌いなお方が強くなれば、戦がない世の中が見られるかもしれない」と直虎。

「しますよ。俺が。徳川を日ノ本一。殿を日ノ本一。俺の仕える殿ですからなってもらわねば困ります」と万千代。

「そうか。そうなるのか。虎松。そうか、そうか」と直虎は虎松の顔を見つめて笑顔を見せた。

織田は武田の降伏を認めず、徳川に力で攻め落とすことを要求した。


井伊に戻った直虎は六左衛門に、万千代の元で働かないか伝えた。腰を抜かすほど驚いた六左衛門だったが、喜んで同意した。直之にも尋ねると「行かない。断ってください」と答える直之。

「某は井伊谷の番人ですので、徳川には参りません」と直之。

万千代は直虎に井伊谷の安堵は求めない、と近藤に伝えるように言付けた。その時、松下常慶(和田正人)が急ぎ、中に入っていった。それは高天神が降伏したいという知らせだった。

常慶が持ってきた書状を見て喜ぶ家康と家臣たち。降伏する代わりに複数の城を明け渡すという知らせに沸く徳川陣だったが、そこに今度は織田からの使者が現れた。

高天神がもう少しで落とせると伝える徳川の家臣の言葉もよそに、信長はこう言ってると使者は伝えた。

「徳川は降伏を受け入れてはならぬ。高天神は力攻めで落すようにという織田様の指図だ」

なぜ、下るというものを、とどよめく家康の家臣たちだったが、不服なら織田が戦を代わってもよい、と声を荒げる織田の使者。それを聞いた家康はこういった。

「降伏は受け入れぬ、と我らから申し上げる。武田に干上がるか、討ち死にするか選べと申し伝える。織田様はこれでよろしいか」

織田の使者が去ると家康と家臣たちはうなだれた。せっかくの策が無駄になってしまったのだ。

どこまでも家康の意図を邪魔する信長だった。そして、武田が兵糧攻めに屈して、城から出てきたのを見計らって、徳川陣は高天神を攻め始めた。


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直虎は戦のない世の中にするために、直之に万千代を助けてくれないかと頼む。


井伊谷。その事を六左衛門から聞いた直虎は、家康の無念を思った。

近藤康用(橋本じゅん)は井伊谷の安堵を万千代が望まないのであれば、六左衛門を手放すことはいとわないということだった。

直虎は井戸の前で手を合わせる直之の元に行った。直之は徳川が織田に頭を押さえられているのが、昔の井伊を見るようだ、自分までここを去るわけにはいかない、と亡き政次に話しかけていた。

「徳川を守ることは井伊を守ることだ。さような事もわからないとは驚きですな。行の字。我は今、戦のない世を作り出せないかと思っている。万千代を通し、徳川を日ノ本一にするというやり方で。その為に万千代の元に行ってくれないか?」と直之に語りかける直虎。

「気は確かか?織田に押さえられつけられている有様で、どのくらい力の差があるかわからないのに?」と訝る直之に直虎はさらに語った。

「やってみねばわからぬではないか。かつて、我は戦火を避け、戦を避けようとし、逃げ切れなかった。その中で命を落とした但馬、今だその名も知れぬ幼子、龍雲党の者たち。戦をせぬという戦は我にとって弔い合戦でもある。だから我と一緒に戦ってはくれぬか?」

それを聞いた直之は言った。

「私は己に折り合いをつけてやってきたのですよ。
おなごに仕え、おなごだからこそ守らねばと己に言い聞かせ、その殿は次には井伊を潰すといい、ならば井伊谷の番人になればいいと思い直し、そうやって今があるのです。
断ることなどできますまい!
俺だってずっと見てきたのですから。殿が、但馬が、必死に戦を避けようとする様を。避けられなかった様を。百姓になってなお、武田から皆を逃がす様を貴女の隣で見てきたのですから。
殿が左様な戦をするというのなら、やってみるしかないではないですか」

わがままばかりですまぬという直虎に、男冥利に尽きるということにしておく、と直之は笑顔を見せた。

こうして、直之と六左衛門は万千代の元に馳せ参じ、徳川の家臣となって武田攻めに参加したのだった。

武田勝頼は自刃し、家康は念願の駿河領を手中に収めることとなった。


そして、天正10年3月。武田勝頼は自刃し、これにて戦国随一の武勇を誇った武田家は滅亡を迎えたのだった。

そして織田信長より、武田攻めの褒美が言い渡された。

駿河を手に入れることを目標としていた家康は仕置が言い渡されることを待ち焦がれていた。

かくして、徳川は駿河を拝領することができたのだった。それは、瀬名が願っていたことだった。

その知らせを受けた直虎はまた一歩、自らの戦いの駒を進められたことに胸を熱くしていた。

そして浜松城。碁盤の前に3つの盃を前にした家康は、信康と瀬名に駿河を拝領したことを報告していた。

(第47回終わり。つづく)

さるぼぼ母の感想。


信康と瀬名の死に打ちひしがれた家康を立ち上がらせたのは、万千代の言葉でした。織田信長はどこまでも家康の力を増強させまいとあの手この手で家康を邪魔してくるのです。

史実が本当にそのようなのかはわかりませんが、何とも好戦的な信長と家を大きくしていくことを考えた家康との差は歴然でした。

直虎に反発していた万千代でしたが、やっとその意志が通じ合い、同じ目標に向かって動き出した回でした。
「戦のない世の中を作る」
これがこのドラマのテーマなのでしょうね。戦が現実化しそうな現代にあって、ドラマが意図したのはこの事なのでしょう。

そして、誰も信用せず、周りの者を傷つけていく信長の最後が迫ってきている、そろそろこのドラマも終盤に差し掛かってきたようです。信長が倒れ、家康が天下を取り、戦のない世の中(江戸幕府)が生まれる、というのがドラマの目指すところなのでしょう。

と考えるとちょっとつまんないかな、と思うのは私だけでしょうか。
今回は、政次の思い出がフラッシュバックしたところがちょっと良かったなぁ。



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