奈良の県立高校に通っていた著者は、物理が得意な高校生でした。2年生のときにバスケット部の国体強化選手級の実力を持つ女の子と付き合います。彼女は物理が苦手でした。図書館で一所懸命物理を教えたものの、試験の結果はなんと0点。満面の笑みをたたえながら彼女は指で丸い輪を作るのでした。
それから幾星霜。アメリカの大学で教え始めた著者が高校の同窓会で二本に戻ってきます。恩師やなつかしい学友たちの中に彼女の顔を見つけ、昔話で盛り上がります。彼女の親友が、上杉くんが一所懸命教えてくれるけど、ぜんぜん物理わからへんかったって彼女が云ってたヨ、と言います。
高校時代は生物学、化学、英語は不得意だった著者は、いまなんとアメリカの学校で、英語をつかて生物と化学を教えているのです。大学での研究内容を、手塚治虫の名作『ふしぎなメルモ』にたとえて説明すると、彼女は言いました。「今回はわかる。上杉くん成長した」。
ひとは自分が得意だと思いこんでいる分野でそのまま大成するとは限らない。苦手だと思いこんでいる部分に自分の力を発揮する領域があるのかもしれない、などということを、高校時代の懐かしい思い出にからめて説得力ある語り口で述べます。このあたりに著者の論理力と人間的な感性の豊かさが伺い知れるのです。